2004年12月7日に無事終了しました。このページはその時のお話をまとめたものです。
<このイベントは2004/12/07 実施、おかげさまで無事終了いたしました。>
『創造談議・北九州』vol.1
| テーマ | 「街とアートとクリエイション」 |
|---|---|
| 主催 | NPO法人「創を考える会・北九州」 |
| 日時 | 2004年12月7日(火) 開場:午後5時00分 開演:午後5時30分 |
| 会場 | リーガロイヤルホテル小倉・4F(北九州市小倉北区浅野2-14-2 TEL(093)531-1121) |
| 参加費 | 無料 |
| パネリスト | トーナス・カボチャラダムス (人呼んで:川原田徹) 画家 白川直行 建築家 竹川大介 人類学者 北九州市立大学文学部人間関係学科助教授 中原蒼二 プロデューサー 北九州市企画政策室 参与 |
| コーディネイター | 築城則子 染織家 NPO法人「創を考える会・北九州」理事 |
| 司会 | 石井千恵 |
| 司会 | 開始の挨拶 |
|---|---|
理事長![]() |
開始の挨拶 |
| 司会 | パネリストの紹介 |
築城![]() |
挨拶と「創を考える会・北九州」の活動内容説明。 人と人とのつながりにアートが媒介となってくれるという思いのもと、集まってくる人々を繋げたいと考えて活動をしているが、その点トーナスさんはどうか? |
トーナス・カボチャラダムス(以下:かぼちゃ)![]() |
私は、アートとかクリエイションとかに対しての認識は無いに等しい。今回、小倉の街を偵察に来て驚いた。かぼちゃ王国は住むものは自分で作る。食べるものも自給自足、着るものも自前。つまりGDPは「0」に等しくとても貧しい。しかし「豊かな社会は貧しい」という諺があるように、現代は、手間ひまかけた仕事が出来ない、余裕がない、物はたくさんあるけれど心が豊かでない。心豊かで、喜びがあって、イキイキと生活出来るのがアートでありクリエイションであると思うので、現代の生活スタイルには疑問がある。 |
竹川![]() |
私は、南太平洋に浮かぶ小さな島々で生活したりしている。そこに住む人々と暮らしていると美しいものがキレイだなと感じる瞬間がある。それは、朝早く海にカヌーで漕ぎ出して村を見ていたりする瞬間である。アートは、美しいということが原点になると思う。その島々で暮らす人々も自給自足であり、一人ひとりが様々な技術を持っている。この技術こそがアートに繋がるのではないだろうか。そんな物を作る人々が作り上げた村だから美しいのではないか。小さな生活、小さな社会の中に慎ましやかな美しさがあると感じた。 北九州に帰ってきたときに何を美しいと感じたか、それは市場である。北九州は日本で一番市場が多いらしい。私は今、衰退していく市場の中に何か拾えるものはないかというのを研究している。 「最小の素材で最大な空間を作る」ことを極めたいと思っている。これはひとつのおもしろい課題になるのではないだろうか。切り取った小さな空間を使って私たちに何ができるか。アートと街は繋がるものだと思う。 |
| 築城 | 竹川さんは、時間軸と空間軸が想像を超えている人だ。その点、白川さんは、建築という視点からどうか? |
白川![]() |
20世紀後半50年は、建築家や建築は街、アートと無関係だったし、触れようともしなかったという事実を反省すべき時期にきている。 建築とアートの接点は無いに等しいほどである。昔は建築が総合芸術と言われていた。それが近代になるにつれ、建築が様式化してきた。作るだけでなく、維持すること、手直しすること、あるいは壊すときのことなどをどうして半世紀、学ばなかったのか教えなかったのか。専門家は普通の人々が気付くことにすら気付くことなく教育を受けてきた。機能は的確で、新しい形を与えることが課題になっていた。どうして形だけだったのか、どうして学ぶべきことが人間じゃなかったのか。これからは、より限られたところで何を為し得るのかという問いかけが強くなる時代になってきていると思う。 |
| 築城 | いつも日常的に会っている人たちが、こんなにちゃんと話が出来るんだという驚きと喜びに包まれている。 中原さんから、幅広いフィールドの中で感じたことを話してください。 |
中原![]() |
以前、スペイン・イタリアを駆け足で回ったときのことだが、トリノ、ビルバオは昔、凋落した街だった。しかし、アメリカからグッゲンハイム美術館をビルバオに誘致してきて街としての勢いを盛り返してきている。トリノも同様に盛り返してきた。その中で共通しているのが、都市を経営するために学んでいく中で、NPOがなくてはならない存在になっていることがある。生きていくうえで、文化・アートは必ず必要であり、これを明確に戦術化している都市づくりが勢いの要因である。在るものをただ受け入れるのでなく、自分たちが作り上げていくという思い。規範に則った美しいものだけでなく、規範から逸脱した美しいものを見てもらえる社会を作りたい。 |
| 築城 | 規範に則っていないという視点からすれば、今日は規範に則っていない人たちの集まりだと思う。 ところで、時間があったら行ってみたくなる場所って、どんなところ? |
| 白川 | 時期によるけど、傾向としては古くて汚いところに行っている。崩れかけているものとか古くて汚いものがありそうなところに行く。そういうものが街の中にあるのが好き。建築をするときも、なるべく新しく作ったように見せないように作っている。 |
| 築城 | 前からある街並みに溶け込むように設計するのですね。 |
| かぼちゃ | カボチャドキヤは貧乏だから必然的に汚くなる。白川さんから見ればそれはある意味贅沢なのかもしれない。 北九州市が門司港に目をつけたのは古いものがそのまま残っているから。なのにレトロにお金をつぎ込み始めると、それはレトロでなくなる。一番贅沢なのは森の中で自給自足している人たちなのかもしれない。 |
| 築城 | 京都は住んでいる人たちが、この街が好きだからこれ以上街をいじらないでくれ!という思いから、あの街が維持されているのではないか。 |
| 竹川 | 京都は新しものがりの街じゃないか。新しいものが好きで新しいものを作るのだが、それが新しく見えない。そこに策略があり、観光客がそれに騙されているのではないか。市場というのは、非日常というより、普通の暮らしに近いものがある。強いインパクトを日常の中で出せる力が市場にはある。 |
| 中原 | 汚いところをキレイにしたがるのは、だいたい役人が考えること。旦過もその構想に当てはめられそうになった。街全体から汚いものを排除してしまったら、その街は寿命を終えたといっても過言ではない。 |
| 築城 | 街がどうやって生きているかを考えるときに、新しく仕掛けることがいつも一番に挙げられる。しかし人が一番惹かれるものが何かと考えると、人の息遣いに近いものに惹かれるのではないか。人がいて初めて街の中でアートが感じるものになるのではないか。 |
| かぼちゃ | 日本は欧米の街並みに憧れて参考にしてきたが、やっぱり汚い。アジアとヨーロッパは違うのではないか。汚い中にアジアがあり、北九州があり、それこそが希望なのではないか。 |
| 築城 | アートを芸術と決めるからいけない。それは日常的に持っているものなのではないか。 |
| かぼちゃ | 生きていくために必要な、本当のものを作って、本当のものを使って生きる。芸術なんていらないのだ。 |
| 築城 | これに対して反論はないか。 デザインとアートは近いと言われているが、デザインは作り上げていくもの。アートは行き当たりばったりである。アートが何かを決める必要はないのではにないか? |
| 中原 | 格好付けの芸術はいらない。人間が存在していくための技術がアート。自分が生きていく世界をどう考えるかがデザイン。 |
| かぼちゃ | なぜか人は絵を描き、歌をうたう。やっぱり芸術はあるのだ。その根っこが無いと、本当の歌とか絵画は生まれないということではないか。 |
| 竹川 | 行き当たりばったりは好き。アートは行き当たりばったりだけど、アートにはスキルがあり、そのスキルは研ぎ澄まされていて、何かハプニングがあったときにそれに対してどう切り返していくかがアートのアートらしいところ。スキルはどこから生まれるのかというと、日常的な中の経験から生まれてくるのではないか。 |
| かぼちゃ | 暇をもてあまして自然と作るものは美しいものに向かう。 |
| 竹川 | ただ暇な人が作って出来るわけではなく、日常的な生活の技術を持った人が作るから出来る。 |
| かぼちゃ | アート・クリエイションには暇がないといけない。芸術を見に行くことが多いのは女性だ。これも関係あるのか。 |
| 築城 | では、この辺で会場からの質問を受けます。質問ありますか。 |
会場![]() |
インテリアの仕事をしている井関です。 アジアとヨーロッパの違いの中に大きく靴を脱ぐか脱がないかというのがあると思う。そこで竹川さん、南の島の人々と照らし合わせて、そういうDNAをどう思うか。 |
| 竹川 | 南の島では、靴を履かないので、どこが内なのか外なのか分からない。私たちの文化の特質で、内と外、靴を履く履かないという概念があるのだろうが、靴を履かない人たちがどうなのかは分からない。 |
| 築城 | 白川さんは? |
| 白川 | 特にない。 |
| かぼちゃ | 日本人は下駄を履く。昔は足も家も閉じられたものではなかったのに。 |
| 築城 | 確かに草履を履いているときの方が自由。なぜ、それを捨てたんだろう。 |
| かぼちゃ | 日本の建築物が開いているものから、だんだん閉じてきている。それは大事な問題だと思う。 |
| 竹川 | 昔は、縁側のような半分閉じて、半分開いている場所があった。西洋建築にはそれが無い。求めているものが変わってきている。それがうまく合わないのか。 |
| かぼちゃ | 建物を閉ざすことは、心を閉ざすことになる。建物を開くと心も開かれる。市場は閉ざしていなくて外の空気が通っている。 |
| 築城 | アートに繋がる語源にアームがある。アームとは腕。アームでアートが繋がるのは、繋げていく力に手を繋げていこうというところに語源がある。 みんなが心のどこかで繋がっていけるのがアートの持つ力だと思う。今日お越しの皆さんがアートとは何かというものを持ち帰って考えてもらえれば、今日の会を催した甲斐もあると思う。 |
| 司会 | 終了の挨拶 |
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以上(敬省略) |
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